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サッカーをこよなく愛する人、特にレアルマドリードを愛する人を笑顔にさせることを目的に書いているブログです(^^)レアルマドリードの試合を中心に、個人的な意見や独自の角度からの分析をしていきたいと思っております。サッカーを通じて、色々な方と繋がり、自分自身の成長に繋がればいいなと思っております。

122億の赤字を、8億の黒字に変えて、リーグ6連覇 ~ユベントスの経営戦略~前編

ユベントスは、今でこそセリエA
圧倒的な実力を誇り、リーグ6連覇という
前人未到の記録を作り続けている。


去年のCL決勝でもレアルマドリード
惜しくも敗れたが、イタリアに留まらず
世界的に強いチーム、そして誰もが
魅了され続けるチームと認識されている。



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しかしそんなユベントスにも
暗黒時代、苦しいときがあった。


それがカルチョ・スキャンダルによる
セリエAからセリエBへの降格だ。


その後ユベントスは低迷し
2010年には122億の赤字を記録。


そんな危機的状況から
どうやって今の地位に上りつめたのか。


カルチョ・スキャンダル


1980年代後半~1990年代前半にかけて
ユベントスは優勝から遠ざかっていました。



さらに、本拠地移転による観客動員数の
低下や信頼を置いていたスポンサーからの
資金供給がなくなります。



1994年にマルチェロ・リッピを監督と
モッジをGMに招聘するなどチームは
大幅な刷新をはかったが、前述の資金難で
選手の大型補強ができなかったのです。


そんな中、リーグ優勝を奪還すべく
あることに手を染めるのです。



2000年代になると
ユベントスの調子も上がり
セリエAの強豪クラブの筆頭としての
地位を再構築します。

ユベントスACミランが優勝争いを
繰り広げ、常勝クラブとしての誇りを
確固たるものにします。

しかし、なぜ資金難や補強で苦しんでいたチームが優勝争いに絡めるまでのチームになったのでしょうか。


その答えは、審判買収です。

ドーピング疑惑についても
問題になってましたが、確かな証拠がなく
確証には至りませんでした。


しかし審判買収については異なりました。


ユベントス再復活を掲げて、改革を進める半ばの1998年から、審判買収疑惑が浮上し始めます。



GMのモッジに対していいイメージを
持たないクラブ(反モッジ派)には、
執拗に不利な判定を行うようになります。


それにより残留争いに巻き込まれる
チームも少なくありませんでした。



そして2006年、イタリアのスポーツ新聞社の
ガゼッタ・デロ・スポルト
盗聴を公開したことユベントス
審判買収が公になったのです。


これをイタリア語で、サッカー疑獄事件
という意味の造語である
カルチョ・スキャンダル』と呼びます。



04/05シーズンの際に
イタリアサッカー連盟 (FIGC) に
審判選考に関して圧力をかけることで
ユベントス有利な判定をさせたり、
他チームの試合結果を操作したことなどが
公表され、イタリアサッカー界を揺るがす
大スキャンダルとなりました。

 




05/06シーズン終了後
クラブ幹部は次々と解任され、
関与した審判やイタリアサッカー連盟
幹部までもイタリアサッカーから
去ります。


また、不正があった
04/05~05/06シーズンのスクデット
剥奪され、セリエAからセリエBへの降格
が必然的になったため、主力選手が
次々に移籍をします。


その中には
現在マンチェスター・ユナイテッド
活躍するイブラヒモビッチもいました。


ちなみに、イブラヒモビッチ
ライバルチームであるインテルに移籍を
しています。





セリエBでの06/07シーズンは
ブッフォンピルロの活躍により
一年でセリエAに昇格したものの
結果は振るいません。


そして何より重大な問題だったのが
ユベントスの122億円の赤字による
経営資金難です。


素人目に見ても、いつ倒産しても
おかしくない数字です。


しかし、このままではいけないと
SDスポーツディレクターのアレッシオ・セッコらの
フロント陣の刷新が行われ、会長に
アニェッリが就任し、ゼネラルディレクターに
マロッタを招聘。
 
監督には
ルイジ・デルネーリが就任します。






今日も読んで頂きありがとうございます。

このブログが皆様のお役に立てれば
幸いです。


ではまた!



次回は
122億の赤字を8億の黒字にどのように
変えたのか
について書きます。


続きが気になる方は
読んで頂ければと思います。