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『日本との対戦の可能性もあり!?”スリーライオンズ”』~若手の積極起用と戦術家・サウスゲート~ 前編

本日はイングランド代表についての紹介です。


イングランドは、「サッカーの母国」であり
ルーニーベッカムなど有名選手の母国であります。


その2人の他にも有名選手が数多く
いたのにも関わらず、ワールドカップでの
優勝経験は、1996年の1度だけであり
EUROでの成績も1968年の3位が最高成績です。


前回のワールドカップでは、
グループリーグ敗退と残念な成績を
残しましたが、ロシアワールドカップの
欧州予選では8勝2分0敗と好成績を
残し欧州予選10試合中8試合を無失点
18得点
と好成績を残し、予選突破を
難なく成し遂げました。


現代表には、主にプレミアリーグ
活躍している選手が多くベルギーなどと
同じくイングランドも黄金世代を迎えています。



①そもそもなぜ「イギリス代表ではなくイングランド代表」なのか?


実は”イギリス”と呼ぶのは日本だけなのです。


イギリスの正式名称は
「the united Kingdom of Great Britain and Nothern Ireland」です。


日本語訳すると
「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国
なのです。

翻訳でもわかるように、連合王国なのです。

イングランドスコットランドウェールズ
北アイルランド
の4カ国の国から構成されています。

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(getty images 引用)


この4カ国は歴史の中で征服、独立を経て今の姿に
なります。

呼び方の話に戻ると、諸説ありますが
ポルトガル語の「Ingles」、オランダ語の「Engelsch」が訛って「エゲレス」が「イギリス」になったと言われています。


ではなぜ連合国の4カ国の全ての国が
サッカーでは別々の代表として存在するのでしょうか?


理不尽な話かもしれませんが
サッカー母国の特権なのです。

プロスポーツとしてサッカーを成立させるために
1863年に「The football association
(イングランドサッカー協会)
ができました。

それを追うようにして
ウェールズスコットランドアイルランドにも
独自のサッカー協会ができました。


ここからが重要なのですが
FIFAより先にこの4カ国の協会ができたのです。


FIFAは世界大会を開催するにあたり
当時サッカー界に絶対的な権力を持っていた
イングランドの参加が必要不可欠でした。


しかしFIFAが提示したのは、1カ国としての参加であり
イングランドを含む4カ国は、それぞれが独立した協会を持っていることもあり、それに納得を
しませんでした。


それを受けたFIFAは、(予想でしかありませんが)
「影響力のあるイングランドの不参加では
示しがつかない」と思ったのだと思います。

それゆえに今でもFIFAのの主催する大会では
「地域別での参加の承認」をルール化しています。

現在では、4カ国の他にもフェロー諸島
香港、グアム
なども代表チームが
地域別のチームとして活動しています。




②どんな監督が指揮しているのか?

ガレス・サウスゲート
1970年9月3日(47歳)
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(getty images より引用)


イングランド人の監督であり
過去にはU-21の監督を務め、201年の9月に
イングランド代表監督のサム・アラダイスの解任に
伴い、暫定監督としてイングランドA代表
監督に就任して、同年12月に正式に
代表監督に就任しました。



サウスゲート監督の特徴と言えば
若手を積極的に起用し、戦術のオプションを
複数持っている戦術家の監督です。


イングランドは若手の宝庫であり
現に去年のU-17,U-20で世界王者に輝いており、
U-19は欧州選手権を制しています。



DF→ジョー・ゴメス(20)<リバプール>
MF→ルイス・クック(20)<ボーンマス
  ルベン・ロフタス=チーク(21)
    <クリスタルパレス
  
   デレ・アリ(21)<トッテナム   
   ハリー・ウィンクス(21)<トッテナム
FW→ラシュフォード(20)<マンチェスター・U>
  ドミニク・ソランケ(20)<リバプール
  アブラハム(20)<スウォンジー


上記のような若手がA代表で試しており
特にデレ・アリラシュフォード
ロシアワールドカップでも当選確実の選手です。


欧州予選では〖4-2-3-1〗
フォーメーションを使い、予選を難なく突破
したサウスゲートだが欧州予選以降の試合では
守備の安定などを目的に3バック
試しています。



去年の11月の親善試合では『3バック』で
ドイツとブラジル相手に0ー0と
上々の結果を残しました。

③どんな選手がいるのか?


ハリー・ケイン
1993年7月28日(24歳)
188cm/86kg
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(getty images より引用)


現在イングランドプレミアリーグ
トッテナム背番号「10」を背負い、
チームのエースとして現在21ゴールで
得点ランキング2位
と活躍中の選手です。


トッテナムの監督である
ポチェッティーノの元で才能を開花させた
選手の一人でもあります。


ハリー・ケインを一言でいえば
"生粋のCF"です。


空中戦の強さや精度の高いミドルシュートも蹴れ
CFでありながら、サイドに流れ、味方の
上がるスペースを空ける黒子的な動き
得意であり更に一試合の平均走行距離が
10kmを越える豊富な運動量によりチームを
攻守に渡って助けます。




唯一の弱点といえばDFを振り切る
絶対的なスピードがない点です。


ハリーケイン ゴールハンターさらなる高みへ 2017/2018スーパープレー - YouTube
(YouTubeより引用)


アーセナルに烙印を押された幼少時代~

ハリー・ケイン
レアルマドリードマンチェスター・シティから
移籍の噂が絶えません。



しかしケイン本人はトッテナムで、
どうしても成し遂げたいことがあるそうです。

「若かった頃、目を閉じて連想していた。プレミアリーグアーセナルを相手にゴールを奪うことを。そしていま、僕は目を閉じてイメージしているよ。新しいスタジアムで仲間たちと、プレミアリーグのトロフィーを掲げる光景をね」


それがトッテナムプレミアリーグ
制することです。


アーセナルにゴールを奪うというのは
ケインが8歳のときに、アーセナル
アカデミーを1年で放出された苦い過去

リベンジの想いが込められています。


またこうも語っています。


「あの時のショックは計り知れなかったし、悔しかった。その後(3年後)、スパーズ(トッテナムの愛称)に入団できて本当にラッキーだったね。アーセナルと何度も戦えたからこそ、フットボーラーとしてベースを築けたんだ。アーセナルを見返したい、その一心だった。いまでもその想いは変わらない。アーセナル戦でゴールを決める価値は、言葉では説明し切れないんだ」 

そして2015年にはついに
アーセナル相手に2ゴールを奪い、
ケイン自身もそのゴールが
一生忘れないゴールだと語っています。



デレ・アリ
1996年4月11日(22歳)
188cm/73kg
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(getty images より引用)


この選手もハリー・ケインと同じく
トッテナムの選手です。

"トッテナムの心臓"とも言われる
この選手の魅力は、繊細なタッチから
生み出されるドリブルとパス
です。


ドリブルは、足元に吸い付くドリブル
というよりも緩急や方向転換で相手の
逆を取り、抜き去るタイプ
です。


トッテナムの心臓と言われるぐらいですから
パスに関しても一級品で、現在プレミアリーグ
11アシストの活躍
をしています。


特にトッテナムでも前線のユニットで
連携をとっているケインとの
コンビネーションは、ワールドカップでも
ストロングポイントになるでしょう。


デレ・アリの弱点といえば
若さゆえにフラストレーションへの
耐性がなく
、荒さのあるところです。


【世界最高峰の若手有望株】デレ・アリ ゴール&スキル&アシスト 2017/18 - YouTube
(YouTubeより引用)



~幼少期の劣悪な家庭環境からの決心~

デレ・アリの幼少期の家庭環境は
非常に悪かったです。

両親の喧嘩は日常茶飯事であり
離婚後も母親のアルコール依存症
精神が不安定でした。

それゆえにほとんどの時間を外で
過ごしていました。

町の子供達と悪さを繰り返し
麻薬などにも手をつけようとしていました。

しかし、13歳のデレ・アリは泥沼の人生から
抜け出すべき、養子に出る決心をしました。

養子に出された先はジュニアチームで
一緒にプレーしていた親友の家でした。



「彼は辛い幼少時代を送っていた。しかし長年の育成の結果、恐れを忘れてプレーできるようになった」と下部組織MKドンズの責任者ミルトン・ダブ
語っているように、この決断がデレ・アリの人生を
大きく変えました。



16歳でMKドンズでプロデビューし
わずか3年でトッテナムへの移籍を
果たすことになります。



プロデビュー後デレ・アリは、
両親と面会する機会もありましたが、
幼少期のトラウマ的な過去があったため
断固として拒否しています。


また、苗字のアリについて
「アリという姓が自分と関係あるとは全く思えない」という理由から、
16/17シーズンからユニフォームのネームも
「デレ」に変えたほどです。

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(getty imagesより引用)


そんな壮絶な過去を乗り越え
トッテナムイングランド代表で
活躍しているデレ・アリはワールドカップの
活躍次第で、移籍の噂のあるバルセロナ
レアルマドリードへの移籍
も現実味を
帯びてくるかもしれません。




ジャック・ウィルシャー
1992年1月1日(26歳)
172/65kg
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(getty images より引用)

先月の親善試合に約2年ぶり
代表招集された選手です。

現在はアーセナルに所属しており
中盤の控えとしての役割が最近は
多くなっていますが出た試合には
チームに必ず違いをもたらせる選手です。



ウィルシャーの魅力を一言で表すとすれば
"ハイブリッドMF"です。


パスの精度サッカーIQが高く
自らドリブルで仕掛けて局面を打開したり、
球際でのデュエルに強いという攻守両面で
貢献できる選手です。



エジル、ラカゼット、サンチェスのファール
を受けた合計よりもウィルシャー1人の
ファールを受けた回数の方が多いという
データもあり、試合に出ればそれだけ
貢献できる選手だと数字からも理解できます。




逆にウィルシャーの弱点といえば
ドルトムント所属のロイスと同じく
ケガが多いことです。

【ジャック・ウィルシャー】アーセナル&イングランドでのスーパープレイ集!2014 2015 - YouTube
(YouTubeより引用)


ウィルシャーの『魔法の夜』~

ケガに悩まされアーセナルでの出場数が
26歳にして"105"と極端に少ないのにもかかわらず、
アーセナルで背番号『10』を付けているのには
訳があります。

それが
2011年2月16日のチャンピオンズリーグ
決勝トーナメント1legのバルセロナ戦で
ウィルシャーバルセロナ相手に
93%という驚異のパス成功率で試合を
支配して結果的に2-1での逆転勝利に貢献しました。



当然ながら
アーセナル公式サイトでは
マン・オブ・ザ・マッチに選出され
「キャリアで最高の夜だ」と本人も喜びを
語りました。



バルセロナシャビ・エルナンデスからは
「あの晩我々と戦ったウィルシャーのプレーはファンタスティックだったよ」と称賛を受けました。

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(getty imagesより引用)



このときのバルセロナの監督であった
グアルディオラ監督も、
「私は今でもアーセナル戦のことを思い出すんだ。あの時のウィルシャーは強烈な印象を残したよ。まったく素晴らしいプレーだった。」と当時のことを
語っています。
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(getty imagesより引用)


度重なるケガによりアーセナルでの
出場機会が得られずにいましたが、
ラムジーのケガにより2017年12月頃から
代役として先発で出場することが多くなります。


復帰後は、バルセロナ戦のような
圧倒的なクオリティーで試合を支配して
アーセナル現監督のヴェンゲルまでも
ウィルシャーがここまでやれると
思っている者はそんなにいなかった』
と語り、
驚かせました。


驚くべきことに2017年2月には
1年後の未来を予言したかのように
グアルディオラ監督はこんなことも述べています。


ウィルシャーは再びイングランド最高のMFの一人になるだろう。彼は才能に恵まれており、頭が良くてボールキープ力もある。ドリブルの能力が抜きんでているし、センターバックにプレッシャーをかけることができる」

中盤にパスをさばける選手がいないことが
イングランド代表の問題点
の一つでも
あるので、是非ともウィルシャーを使って
今までとは違ったイングランド代表を
表現してほしいです。






イングランド代表の戦術やフォーメーション
というような内容は近日公開予定の後編で
紹介したい思います。


今日も読んで頂きありがとうございます。

このブログが皆様にとってお役に立てれば幸いです。

ではまた!