~プレミアリーグはどのようにして、今の地位を築いたのか?~①
今や、プレミアリーグは世界中で12億人が
視聴する、人気のあるリーグになっている。
意外なことに、世界的に見ると
視聴する65%がアジア・オセアニアの地域の人々であり、北米・カリブ海でも1億4000万人もの人が視聴している。
このような全世界でのプレミア人気はどのようにして、形成されていったのか?
そこに日本サッカー発展のファクターが
あるかもしれない。
プレミアリーグの歴史
という名称でイングランドサッカーのリーグが開設された。
発足当時は、現在のような
人気を博していたわけではなかった。
むしろセリエAやリーガ・エスパニョーラより
観客数や収益が少なかった。
イングランドサッカーを語る上で避けては
通れない1980年代から現在に至るまでの過程を順を追って説明したい。
1980年代
1980年代当時は、イングランドサッカーは低迷期であった。
フーリガンの暴行事件により、女性や子供の
観客数の減少した。
また極めつけにヘイゼルの悲劇
(84/85シーズンのチャンピオンズカップ<リバプールvsユベントス>の試合前に、サポーター同士の衝突が原因で死傷者が出た事件)や
ヒルズボロの悲劇(FAカップ準決勝のリバプール対ノッティンガム・フォレストの一戦の際に、警備員の不備によりゴール裏の立見席の収容人数を越える観客を招き入れ、群衆雪崩などが起き死傷者が出た事件)により
イングランドサッカーの低迷が
如実なものとなり、
何か改善策を講じなければならない状況に
陥ってしまった。
フットボールリーグからプレミアリーグへ
ビッグクラブが先導して、この低迷を変えなければならなかった。
何かを変えるためには1部~4部までの
全92チームの同意を得ることが必要であった。
しかし、リーグの向上、繁栄のための改善策を提案しようが、全チームからの賛同を得ることは難しく、むしろ組織全体の変革が必要であった。
1992年2月20日、従来の
フットボールリーグに所属していた全チームが
離脱し、FAプレミアリーグを設立した。
それにより、TV放映権やスポンサー契約を
独立して契約できるように改善されたのであった。それにより、上位のチームが独自に取り引きする仕組みから下位のチームまで恩恵が回るような仕組みを、リーグ全体で管理できるようになった。
結果的に、スモールクラブがビッククラブに
ジャイアント・キリング(番狂わせ)を起こす
試合も増え、次第にプレミアリーグ人気が高まっていくのであった。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
少し長くなりそうなので、②に続きます…
現在のイングランドサッカーの取り組みなどを
書いていきたいと思います。
興味があれば、読んで頂けると幸いです。